ピザ
私もピザが好きです。和風のやら韓国風のやらありますが、サラミやマッシュルーム、ソーセージなんかが載ったアメリカ風のオーソドックスなピザが好きです。でも、高いですよね…。
すこし前のお話し。
9月も下旬に差し掛かった頃のとある金曜日。朝8時に目覚めた私はすぐに体の異変に気付いた。全身がだるい、痛い、そして、ガタガタ震えて悪寒が走ったし腹痛も酷い。
私はすぐにインフルエンザを疑い、数年ぶりに救急箱から体温計を引っ張り出した。
しかし、頼みの体温計は電池が切れてしまったのかうんともすんともわんとも言わない。私は風邪を引いたときはポカリスエットをがぶ飲みして治すタイプの男、体温計のボタン電池購入も兼ねて近所のコンビニに夢遊病患者のように訪れた。
さっそく家に帰り、体温計に新しいボタン電池を入れてみる。しかし、体温計は小雨で濡れた墓石みたいに静かなままだった。私は体温計に「なんだよ!」と悪態をついて放り投げた。体調が悪い時に何が一番役に立たないって、壊れた体温計ほど役に立たないものはない。
10時頃、私は歩いて15分ほどのところにある雑居ビルの内科に足を運んだ。そこで初めて熱を測れた。ずらりと並んだ頑丈そうな体温計たちの頼もしさを感じる。脇に体温計を入れながら必死で問診票を記入する。
ものすごい早いタイミングで体温計が鳴ったのですこしビクッとする。38.5℃。病人である。私はこの時この瞬間から自他共に認める「病人」となった。
受付のおばちゃんにそそくさとマスクを着用させられたことからも、私が社会の皆様にとってはご迷惑な存在、病原菌保持者なのだということが伺えた。
高齢な男性の医者が私に診断を告げた病名は「ウィルス性胃腸炎」とのことだった。ひとまずインフルエンザでないことに安心した私だったが、初めてかかる病気だった。腸炎の分際で高熱を呼び覚ますとは何事か。
なんでもこの病の時は固形物は何も食べず、安静にしてひたすら水分補給することが肝要とのこと。幸いこの日仕事が休みだった私は家に帰ると、ポカリスエットを傍らに置きながら新作「鴨が好き」のいつ終わるともしれないスキャン作業をしながら、TSUTAYAで借りてあったDVD(「レンタネコ」、「黒猫白猫」、「マギー」)などを見て過ごした。スキャン作業は安静にしている部類に入るであろう。
夕方、熱が40℃に達した時はさすがに死ぬかと思ったけど(新しい体温計を買った)、おかげで新作のスキャン作業はめでたく終了し、現在は毎日毎日、約3000枚の動画を一枚ずつ仕上げております。
みなさんも体温計が壊れてないか時々、チェックしてくださいね。では。
↓市川実日子不足のときはこの映画に限ります。
↓傑作。
空前の大ヒットを記録して、社会現象になった「君の名は」。
しかし、私はというと映画が公開されてもすぐに見に行く気にならなかった…、正直に言えば新海監督の作風が苦手なのです。嫌いではないのですが、どうも、苦手なんです。
観た感想から言えば、大変面白かったし、相変わらず背景が綺麗だし、往年のモチーフ「すれ違う男女」というのも「ほしのこえ」の頃から一貫していて好感が持てる。
が、やっぱり私は苦手だった。
今風の爽やかな歌(RADWIMPS)が随所に挿入されるのだけど、その度に映画「レッドドラゴン」のオープニングで交響曲の音程が外れるたびに顔をしかめる、ハンニバル・レクター博士みたいな顔をしてしまった。
結果、「ピノキオ」で号泣できる私が、眼球を潤ませることさえなかった…。
これはいったいどうしたことか…。私の心が腐ってしまい、素晴らしいものを受け入れる器官が損なわれてしまったのだろうか…。
それとも場末の短編アニメーション作家に特有の商業アニメに対する、やっかみ、劣等感の表れなのだろうか…。
聞けば、中高生たちの支持が高いと聞く。なるほど、きっとむき出しの感受性をぶら下げて観れば、ワンワン泣けたことだろう。しかし、私も齢31歳、汚いものや人間に揉まれてきた私の感受性は厚い皮覆われてしまっている。
しかし、今を生きる中高生たちが休日にまだ手を繋いだことしかない恋人と観に行くのに「君の名は」は最良の選択と言えるだろう。
青春の1ページに書き記すのに価する美しいアニメ映画だったのではないだろうか。
そして、見終わった後は「よかったね」「まじ泣いた」なんて言いながらサイゼリアでドリンクバーを啜るのだ。素敵だ。
ポスターにもなった、あの階段で寿ビデオを撮影しようとしている人もたくさんいるんだろうなぁ…。やだやだ…。
ふと、では、私は高校生の時、恋人とどんな映画を観に行ったかを思い出す。…ああ、思い出した。アダム・サンドラー主演、サタンの落ちこぼれ末っ子が活躍する映画「リトル・ニッキー」だ…。このコメディ映画を高校生の私は、恋人の頭に肩を貸しながら「頭って意外と重い…」とぼんやり思いながら観たのだった…。
大勝軒本店をあとにした私は次の目的地であるスーパー銭湯「タイムズ スパ・レスタ」を訪れた。
初めて訪れるスーパー銭湯、サンシャインシティの目の前にあるビルの10階~12階に位置する都会型銭湯だ。
エレベーターにのってロビーに行き、ロッカーに靴を預けるときにそれはやってきた。「香水くさい」、まるでデパートの化粧品売り場、まるでディスコにたどり着く前に非業の死を遂げた、バブル期のボディコンギャルの地縛霊にまとわりつかれたかのように強烈な香水のフレグランスがエントランスロビー全体を包んでいた。
しかし、館内は非常に清潔で、バリ島や沖縄のリゾートをモチーフにした調度品の数々も素敵だったし、何よりロビー中央外にある大きな人口滝が涼しげで嬉しくなる。
ボディコンギャルの地縛霊に抱きつかれながらロビーでタオルと館内着を受け取った私はさっそく湯船のほうへと向かう。時刻は午後13時、日があるうちの風呂ほど贅沢なものはない。
入念に流し湯をして、身体を拭くとまずサウナへ向かう。私のスーパー銭湯での基本的な過ごし方はサウナ→水風呂→休憩→サウナの繰り返しで、時々、箸休め程度に湯船に浸かるくらいだ。
サウナはなかなか広く、檜の香りも豊かだし、なによりちゃんとテレビもついていて嬉しい。普段家ではまったくテレビを見ない私にとって、下界の様子を垣間見る大切な機会なのだ。
番組はバラエティで、まったく知らない女性タレントが自宅で薫製料理を作りながら、ロボホンに話しかけていた。
ほどよく汗をかいた私はサウナを後にし、水風呂に向かう。
しかし、そのとき、思いがけない再開が待っていた。そう、「オケシャワー」である。以前、豊島園のスーパー銭湯「庭の湯」に訪れた際に、その自己を戒めるような内罰的面白さに夢中になったオケシャワーと、ここに来て運命の再開を果たすことができたのである。
私は嬉しくなりさっそくオケった、冷水が一気に私の身体を洗い流し、ボディコンギャルの霊も除霊されていくような気がした。
水風呂は面積こそ広くはないものの、充分な深さが担保されており身にまとった熱気が溶け出すように無くなっていく。
水風呂をあがると屋外コーナーへ出てみた、そこには円形浴槽のジャグジー、ホワイトイオンバスと地面に埋め込まれた二つの釜風呂、横になれるビーチチェアが3台置かれていた。
ふと、そのうちの一つに横になる。目の前には青い空と、刻々と姿を変える白い雲、強い日差しを受けるビルが眺望できた。日差しを浴びながら目を閉じる、太陽の明かりがまぶたに流れる血液を照らし、真っ赤な世界が広がる。
いろいろな心配事や不安がなくなったわけではないけど、この時、この瞬間、私は少しだけ幸福な気持ちになることができる。素直に「生きていてよかった」と思える瞬間と出会える、それが私にとってのスーパー銭湯なのだ。
その後、ホワイトイオンバスに浸かってみる、気体がお湯に溶け込み、ミクロの気泡によって身体の汚れを奥から洗い流し、超音波の働きで身体も温まるという白い湯船。
しっとりとして柔らかいお湯、私のようなリアルに描くとこんな感じの無精髭のむさ苦しい男が浸かっていては場違いなのではないか、と思えるほど上品で優しいジャグジーだった。
何度かサウナと水風呂を往復したのち、館内着に着替えてロビーに出る。相変わらず香水の匂いがすごい、階段を下るとカフェがあった。大きな窓からがサンシャインシティと乙女ロードが一望できる。
私はそこでしばらくブログに載せるための記事をパタパタと打っていた。そういえば、サンシャインシティは巣鴨プリズンの跡地に建てられたんだっけ、なんてことを思いながら2時間ほど過ごし、再度入浴。
16時をまわると客足も増えてきた。サウナが満室近くまで埋まっていた。さきほど至福のときを過ごしたビーチチェアも人で埋まり、なかなか空く気配をみせない。私はサウナと水風呂の往復を繰り返し、それに満足するとレスタを後にした。
天然温泉はないにしても、気持ちのよい日光が入り込み、清潔感のある入浴ゾーンは素晴らしかった。
ドギツイ香水の匂い以外は大満足のスーパー銭湯だった。今度はサンシャイン水族館にでも足を運んだ帰りに立ち寄ろう…。友人のウサギも誘って。
レンタルビデオ屋の店員さんってこんな風に思っているのだろうか。
ところでビデオなんて今時置いてないのに「レンタルビデオ屋」って言っちゃいますね。「レンタルDVD屋」だとなんかイマイチ語感が悪いです。
池袋。
私にはあまり縁のない土地、なんとなくサンシャインシティという大きな建物があることと、池袋演芸場があること、そして、昔見ていたドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の舞台であることなどの大雑把な情報しか持っていない街。
よく晴れた土曜日の午後、私は一人池袋を訪れた。目的は大勝軒本店の中華そばを食べることと、サンシャインシティの目の前にあるというスーパー銭湯「タイムズ スパ・レスタ」へ行くこと。
私は熱心なラーメン教徒ではないのだけど、今は亡き大勝軒の生みの親、山岸一雄のドキュメンタリー映画「ラーメンより大切なもの」(いつかちゃんと記事にします)を作業の合間に何度も何度も見ていたら、もう、大勝軒のラーメンが食べたくてたまらなくなってしまった。
しかし、都内に数え切れないほどのチェーン店を有する大勝軒、食べるなら本店でできるだけ山岸さんが作っていた頃の味に近いものを食べたい!という思いに駆られての来店である。
入店し、厨房を覗くと嬉しい発見があった。すで取り壊された旧・大勝軒本店に飾られていた子猫の額装写真が飾られていた、何十年も山岸一雄やラーメンを啜る客たちを見守ってきた猫たちの瞳に感慨深いものを感じて嬉しくなる。映画で登場したアイテムに出会うのってなんでこんなに嬉しいのか。
さて、10分ほど並んでカウンター席に通された、注文したのは中華そばと餃子。つけめん発祥の地として名高い大勝軒で普通のラーメンを注文してしまった。
私はつけめんよりノーマルラーメンが好きなのだ。「ああ、私は今ラーメンを食べている」という感慨がつけめんには無いように思うからだ。
先に餃子がやってきた、5個入り。
ここで私の誤算が発覚した、餃子が大きいのだ。朝食を摂っていないとはいえ、このボリューミーな餃子に普通でも量が多い中華そば、はたして完食できるのか心配になりつつとりあえず餃子を食す。
肉厚な皮にたっぷりの汁が詰まっていて美味しい。美味しいが、肝心のラーメンが来ない、餃子をおかずに麺をすするという行為ができなくなる危険性があったため恐る恐る餃子を食べ進めた。
そして、ようやく私の前に熱々の中華そばが届いた頃には餃子は二個を残すまでになっていた、スープをすすり、麺をたぐった。
美味しい。
美味しいがDVDで何度も何度も、神格化された大勝軒のドキュメンタリーを観ていた私のなかで大勝軒のラーメンのハードルはかなり高度なものとなっていたためか、「美味しいが、普通」という思いが去来する。
しかも、ボリューミーな餃子効果で空腹も薄れ、早くも満腹状態。
食べても食べても減らない麺、山岸さんがプリントされた花山椒のボトルに嘲笑われているようにさえ感じる。
長居をしては後ろに並んでいる人たちに申し訳ないと思い、半分も食べきれずにリタイアし、そそくさと店を出た。
ガード下、私は自分の胃袋を恥じ、己の陰を見つめながらスーパー銭湯へ向けて歩き出した。
亡き山岸一雄の作るラーメンは常連客曰く「他のラーメンとはまったく違う」ものだったらしい、それは今私が食べた中華そばのような味だったのだろうか…、それとももはや山岸さんの生み出した味はこの世に存在しえないのだろうか…。
つづく